第597週 写文俳句9月その4

物質文明の驚異的な発達は、人々から九月という自分自身を見つめ直し、反省すべき絶好の期間を奪ってしまった。

夏から秋へと透明化していく過渡期にあって、九月を見過ごしてしまうと、人は反省を忘れる。効率中心主義者や、家に閉じこもりがちの人は、九月を跳躍したり、省略したりした人が多い。特に若い時期、再会の喜びを持たない人は、長い夏休み中、自分探しの旅の途上、自分を見失い、帰るべき場所に帰らず、永遠の放浪者(精神の放浪を含めて)となってしまう危険がある。

その意味で、九月は危険な月でもある。あるいは危険な夏のツケを一挙に回される月と称(よ)んでもよいかもしれない。

九月は苦月にも通ずる。九を窮にするか、あるいは功にするか、本人の心がけ次第である。

そういえば、九月にはいつの間にか疎遠になった人の訃報を聞くことが多い。そんな夜は、たいてい降るような虫時雨に包まれている。

そして故人の想い出に浸りながら、旧交を温めておくべきであったと悔やむのである。

虫時雨君にだけ降る胸の闇

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初出:2008年9月梅家族(梅研究会)