第623週 写文俳句3月その4

春愁と言うが、秋愁とは言わない。秋は愁うるのではなくもの悲しい。秋はしみじみと過ぎ来し方を振り返っても、春の愁いには過去はあまり投影していない。親しい人々との別れはあっても、意識は未来を向いている。残照の長い春の夕暮れは、明日の無限の可能性を予言しているようである。

女王の訃報を聞いたのも春の宵であった。私はしばしためらった後、おもいきって女王の生家に電話した。電話に出たご尊父に、学生時代お世話になった後輩であることを告げてお悔やみを述べると、ご尊父は電話口で涙声になり、彼女は以前、不毛の恋愛をし、親の勧める結婚をしたということである。

「いまにして、あの娘の望むままにさせてやればよかったとおもいます」

とご尊父は語った。

女王の生前、そんな悲しい生活史があったことを私は初めて知った。

彼女は私にとって青春の偶像となった。偶像は心の最も大切な場所に祀られるものである。そして、若き日の偶像ほど貴重である。春夏秋冬、四季を通じて私の偶像は早春の産物であった。

夏は熱い恋、秋は回想、冬は春を待つ想いと忍耐であるが、春は未知数に溢れ、心をいつも遠方に飛ばしていた。加齢と共に未知数は減っても、遠方に向ける視線は同じである。その視野を照らすものは、春の光である。

三月より陽の月とする旧暦は、心に祀る偶像との出会いの機会を提供してくれているようにおもえる。

別れたる面影に似て朧月

初出:2008年3月梅家族(梅研究会)