第633週 写文俳句6月その1

紫陽花の迎える庭や雨の底

四十代前半までは、六月は一年のうちで最も嫌いな月であった。梅雨のシーズンで、鬱陶しい長雨がつづく。それがイランの首都テヘランからモスクワまで、中東、旧ソ連の諸国縦断旅行をしてから認識が変わった。

テヘランに入ってからモスクワまで走っているはずの国際列車がない。それでも私は未練を捨てきれず、ソ連とイランの国境まで行けば、ソ連側の列車に乗り換えられるのではないかと、とにかくローカル列車と白タクを乗り継いでジョルファという地獄の釜の底にあるような国境の町にたどり着いた。

その国境の兵隊、警察官、役人を兼ねるような男に賄賂を使って、モスクワまで行きたい旨を告げると、一日一度、ソ連側から貨物列車が荷物を運んで来るから、その帰り車に乗れるように話をつけてやると言ってくれた。その役人や釜の底の住人たちは悉く真っ黒に陽灼けして、唇がひび割れている。

地獄の釜の底の太陽に焙られながら、待つことしばし、やがてやって来たソ連側の貨物列車に役人が話をしたところ、答えはにべもなく「ニエット」であった。

わずか数時間で私の露出している皮膚は火傷し、唇がひび割れた。ソ連側に断られて途方に暮れたものの、ためらっている時間はなかった。白タクはすでに帰し、ローカル列車の終点タブリーズまで行く一日二回の最終列車が間もなく発車する時間になっていた。これを逃せばいやでも地獄の釜の底に一夜を過ごさなければならない。私は慌てて最終鈍行列車に乗り込み、タブリーズを経てようやくテヘランまで帰って来た。

初出:2008年6月梅家族(梅研究会)