第638週 写文俳句7月その2

私は少年期、日中戦争から太平洋戦争を経験した。あと数年早く生まれ合わせていれば、少年兵、あるいは特攻隊として戦場に引っぱり出された際どい年齢であった。非常時という名目で夏の行事はすべて取り止め、平和時であれば花火が彩る空を、毎夜のごとく敵機が飛んで来て、日本列島に爆弾の雨を降らした。

私の郷里の町は八月十四日深夜から十五日未明にかけて空襲を受け、一望の焼け野原と化した。詳細は次号に譲るが、八月十四日深夜から十五日未明にかけて、いかなる花火も及ばぬ光華が我が町の空を染めた。そのときの光景が私の夏の夜の記憶を彩り、私の意識では、戦争は夏の季語となっている。

夏は平和時にあってこそ、その本領を発揮する季節である。あと数日生き永らえれば戦争が終わる最後の特攻に出撃した前途有為の若者たちは、夏雲が簇(むら)がり立つ南溟(みんめい)の空に、どんな想いを寄せたことであったろうか。

戦争を体験した人たちにとって、夏は辛い季節である。平和時であれば出会いの季節である夏に、親しい人たちと再会が望めぬ訣別をした。彼らにとって海と空が溶け合う遠方に簇がり立つ夏雲は、墓石のように見えたであろう。

一転して自由を飽食する平和な夏は、無限の可能性を孕(はら)む開放の季節である。平和な夏に無限の未知数を追う狩人は、閉塞された戦時下の逃げ道のない絶望の奥に、まだ見えぬ夏の光を探して飛び立った若者たちの無念を忘れてはならない。

血の香り集めて立つや雲柱

初出:2008年7月梅家族(梅研究会)