第645週 写文俳句8月その4

縁日の幼な子の夢離郷して

戦争が終わって何年か後に、夏祭や花火大会が復活した。夏が本来の姿を取り戻してきたのである。戦争後遺症のせいか、私は夜空を染めて炸裂する花火に、なかなか馴染めなかった。当時は交通規制もなく、各町内から引き出された屋台や山車が、賑やかな祭り囃子を競いながら、夜を徹して市中を巡行した。

深夜流れてくる祭り囃子に、ふと私は、青い光を発する屋台や山車を、星川の死者たちが引いているような錯覚をおぼえた。

郷里の夏祭には戦争の犠牲者の怨念がこもっている。その怨念が今日の夏祭の繁栄を支えているのである。

夏八月がめぐりくる都度、私の耳について離れない郷里の祭り囃子と、八月十五日、街の夜空を彩った業火の色が改めてよみがえるのも、戦争と平和の落差を埋めるべき時間がまだ不足しているからであろう。

夏の本領が平和時にこそ発揮されると悟ったことは、戦争と平和、破壊と建設、欠乏と豊饒、統制と自由の両極端を知る世代の特権であろう。それを経験しない者にとっては、夏は単なる四季の一つにすぎず、八月は日本が屈辱の中から再生を誓って立ち上がったことを知らない。そんなことを知る必要もないダイナミズムが夏にある。

そして、私もいつの間にか夏の寛大な許容に甘えて、怠惰な時間を過ごしているのである。

初出:2008年8月梅家族(梅研究会