第684週 写文俳句5月その4

引きこもる窓に映るも五月晴れ

人にはだれでもただ一人の異性がいるそうである。ただ一人の異性は、現在の恋人や配偶者とは限らない。この世に生を受け、ただ一人の異性に出会えるという保証はない。あるいは出会っていても、たがいに気がつかず、すれちがっているかもしれない。

ただ一人の異性には年齢差も限定されない。親子・孫ほどの年齢差があっても、ただ一人の異性であることに変わりはない。この世界のどこかに、自分のために生まれてきたただ一人の異性がいるとおもうだけで、群衆の中の孤独感はかなり癒される。

そして、ただ一人の異性に出会う機会は、五月が最も多いとされる。根拠のない言い伝えであっても、いかにも五月を象徴するようなロマンティックな伝承である。

たしかに五月ほど、ただ一人の異性に出会うにふさわしい月はない。四月は多彩な花に目移りがしすぎて、七月、八月は放恣にすぎる。秋は寂しく、冬は閉じこもりがちになる。漂泊の詩人や旅人は、ただ一人の異性を探すために、地平線や水平線のかなりに向かってさすらっているのかもしれない。

時間刻みの予定に縛られ、ほぼ完全に管理化された現代に生きる人間にとって、五月は管理の窓が広く開かれる月である。その窓からの風景に、ただ一人の異性を探すも、漂泊の想いに誘われるも、未知の可能性を追い求めるも、そして自らせっかく開いた窓を閉じるのも、それぞれの自由であり、五月のあたえる恩恵なのである。

初出:2010年5月梅家族(梅研究会)