第698週 写真俳句歳時記

逝く夏を月に託せる光葬花

九月に入ると、朝夕はめっきり涼しくなり、天が高くなる。台風が通過する度に空の色が深くなる。だが、残暑は厳しく、蝉時雨に衰えは見られない。八月よりも空気が澄んでいるので、油断をしていると真っ黒に陽灼けしてしまう。

八月はダイナミックで毎日が奔放な宴のようであるが、九月に入ると、女性の中絶が増えるという。夏の恋のツケを女性が一方的にまわされるのは不公平であるが、他の季節は守りの堅い女性も、夏の宴のうちに自らを解放してしまうのであろう。

それだけに、夏の恋の想い出は切なくも甘美であり、行きずりの恋人の面影を流れる雲に追うのも、この季節である。

夜毎、月光が蒼(あお)みを増し、昼間の蝉時雨に代わって、夜は虫のすだきのコンクールとなる。

八月に比べて、九月は財布の中身も薄く、夏の疲労が残って、なかなか本来のペースを取り戻せない。海や山はめっきり寂しくなり、夏の想い出が遠い昔のようである。

八月や、イベントが盛りだくさんの十月に比べて、九月は少し割の悪い月であるが、高速回転の今日、月光や虫時雨に、ふと感傷的になり、未来よりは過去に傾斜する。

この月は四季折々の中でも人生の貴重な時間帯である。過去に学ばない者は未来もないといわれるが、九月とは、だれでも抱えていながら忘れがちな心の中の弱みをふとおもいだす、そんな季節の変わり目である。

季節のメリハリのない常夏の国や、極北の地に比べて、東西南北に長く延びる日本列島を彩る四季の有り難みをおもいださせるのが九月である。

旧暦では九日に更衣(ころもがえ)をする。今日では必ずしも着衣を季節に合わせないが、着替えることによって季節に対して構えたのであろう。

そういえば「冬構え」という季語があるが、春、夏、秋には「構え」という季語はないようである。構えぬうちに、いつの間にか秋、季節の変わり目が曖昧なのも八月と九月の間である。残暑や余寒などが季節の移り目をぼかしているのであろう。

初出:富士通写真俳句歳時記2010年9月