第720週

梅の香に誓う恋あり遠き人

一年のうち二月は、十一月と並んで割りの悪い月である。行事が盛りだくさんな一月や三月に比べて、二月はせいぜい節分や初午(はつうま)ぐらいしかない。財布も年末・年始の出費で薄くなっている。

梅が春の先兵として咲き始め、気品ある香りを精一杯漂わせているが、まだ冬将軍は厳然と居座り、北国ならずとも大雪に見舞われることがある。

日本列島、冷凍庫に閉じ込められたような寒い日がつづくが、二月の終わりごろになると、ふと春の気配を街角に感じることがある。いずこからか沈丁花の香りが漂い、春を待つ想いがひとしおそそられる。歓迎できない春の先触れとして杉花粉や、アレルギー性鼻炎が登場してくるのも、二月半ばころからである。

だが、しどけない酣(たけなわ)な春や、晩春に比べると、春の先駆者である二月は、凛として莟(つぼみ)の固い処女のような気品がある。

三月から四月にかけて相思相愛の恋が達成される季節とすれば、二月は秘めたる片想いの月である。

恋という言葉は万葉の時代から、物質文明が爛熟する前の昭和の初期ごろまでは、秘めたる想いの意味であった。恋は達せられた瞬間から男女の脂に塗れた腥(なまぐさ)い関係に陥る。

だが、達せられぬ恋こそ、宗教的な色彩を帯びた心の神棚に安置すべき男女の最も美しい愛の形がある。達せられた恋愛が自己中心のむしり合いや、爛れた性愛となって破綻していくのに対して、秘めたる片想いはそれぞれの究極の憧憬として、生涯、心の最も大切な場所に祀られる。

梅の気品ある香りに、ふと遠い日の、いまは面影すら薄れている初恋の人を連想するのは、冬と春の狭間にあって、人間の根源にある永遠の郷愁を固く秘匿しているような季節であるからかもしれない。

初出:富士通写真俳句歳時記2011年2月