第591週 写文俳句8月その2

冷房下夏は腐りて檻の中

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学生時代、その特権を利用して、夏休みには大きな旅行を計画した。当時は一ドル三百六十円時代で、海外旅行は高嶺の花であった。マイペースを維持で きると、自分でも驚くほどのパワーが出たので、一人旅が多かった。北海道一周旅行、北アルプス全山縦走、中国・四国一周旅行、あるいは五万分の一の地図を 開いて目をつぶり、十ヵ所ほど針を突く。そして、その針を線で結んだ、いま考えれば労ばかり多く、意味のない旅をしたのも夏であった。

ピンポイントがアクセス不可能な山中や、湖の中だったりすると、その最寄りのアクセス可能な地点まで行ってごまかした。それでもべつに事故もなく、泥棒に遭うこともなく、それぞれの旅を計画通り達成できたのはラッキーであったのであろう。

行く先々で多数の人々と出会った。行き暮れて民家に泊めてもらったり、山間の川にかかった丸木橋を渡り、帰路、川が増水して丸木橋が流失し、水が引くまで川岸で待ったとき、食べ物が尽き、地蔵様に供えてあった団子や菓子を失敬してしのいだり、ユースホステルのお寺の百畳もある本堂に一人で寝たりした経験は、いずれも夏休みであった。

予定に縛られず、もちろん旅費も十分ではなく、ユースホステル、民家、寝袋に潜り込んでの野宿などを重ねて、ほぼ無銭旅行に等しい旅であったが、人とのふれあいによる収穫は大きかった。今日、そのような旅行は、学生でも難しい。

学生時代が人生の仕込み期間であるとすれば、夏休みは人生の休暇である。休日と休暇は異なる。管理の鎖から解き放されて、まとまった自由な時間をもてるのが夏休みである。それすら管理の紐付きになりつつあるが、年末年始が人生の区切り点であり、ゴールデンウィークは家族、家事的な色彩が強いが、夏休みは本来の自由色が最も濃い。

夏向きにすべてが設定されている日本の風土に最も合っている夏休みが、西欧文化のバカンスの輸入であることも面白いが、夏休みがないころの日本のほうが、管理の枠が緩やかであったことも皮肉である。基本的人権も自由も不十分な未熟な社会のほうが人間味に溢れていたことを考え合わせると、管理という人間の心身の拘束と共に、一種の過保護社会を求めているのかもしれない。

~続く~

初出:2010年8月梅家族(梅研究会)