第660週 写文俳句12月その2

橋いくつ越えていずこに行く年ぞ

ノグンリを後にした私は、
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、また同じ危険に陥りやすい」
と元独大統領ワイツゼッカーの言葉をおもいだした。過去に学ばない者には未来もないのである。

韓国旅行を終えて日常の暮らしに戻ると、いつの間にか街には師走の風が吹いている。月は夜毎に冴えて、蒼い月光が街や野山に等しく弾む。古きよき行事、十五夜や虫聞き、煤払いなどは廃れかけているが、可惜夜(あたらよ)(眠るには惜しい夜)の月の香りには変わりない。

第二次世界大戦中、悪魔部隊と称された七三一部隊のエピソードをおもいだす。

人体実験の材料(これをマルタを呼んだ)として、七三一部隊に監禁された一人の中国人は、中秋節には家に帰って一緒にお月見をしようという約束を娘と交わしていた。だが、彼はマルタの運命を悟って、あり合わせの材料で赤いシナ靴をつくり、「もしあなたが私の娘に会ったら、この靴を渡して伝えてほしい。父はおまえとの約束を守れなくなったが、せめてこの靴を履いて遠くまで歩いて行きなさい。独りで歩くには早すぎるおまえだが、だれでもいずれは独りで歩かなければならない。父の靴がおまえの足を守ってあげると」と、七三一部隊員に託した。  押しつまるに連れて、宙天高く凍りついたように冴えてくる月を家族や友人と見られることは幸せである。たとえ独りで眺めても、だれとも約束を破らずに見られる環境や人は幸せである。

年末に回想が伴うのは、凍った月面に過去が反映しているせいかもしれない。だが、しみじみと月を見る人は少なくなっている。日常の暮らしの多忙さが夜を圧迫し、過去をしみじみと振り返る時間を奪っている。夏がすでに遠いのは、夏のダイナミズムのせいではなく、人は過去を振り返る余裕がなくなったせいかもしれない。

年の瀬は、過去を忘れかけている人々に、その危険性をおしえる季節でもある。

初出:2009年12月梅家族(梅研究会)