第673週 写文俳句3月その2

乳母車期待を乗せて春支度

人間、また人生も同じである。この世に生を受け、親の手厚い庇護のもとに成長しても、親や周囲のあまりにも大きな期待のプレッシャーに潰されてしまう若者もいれば、引きこもり、家庭内暴力、あるいは非行に走る者もいる。生まれながらにして両親の保護を受けられぬ人や、貧しい環境や、心身のハンディキャップなどを負わされる人もいる。

だが、人生初期の共通項は、いずれも莟であるということである。人間の莟が孕んでいる可能性は無限であり、各種の危険やハンディキャップを乗り越えて開く花弁に寄せる期待も無限である。

無限の可能性は、無限になにもないということにも通じる。

莟は小さいほど多くの可能性に富み、膨らんでいくほどに期待も大きくなっていく。

「むかし天才、いま凡人」という言葉が示すように、幼いころ、どんな偉才を発揮するかと期待を寄せられた神童が、成長してどんぐりになったという幻滅は深い。

だが、幼いころは等しく神から贈られた莟であり、それがどのような実を結び、花弁を開くかは本人の努力にかかるだけではなく、運命や運によって左右される。神童が凡人になったとしても、本人が怠けていたわけではない。莟はみな可能性の塊であり、期待という夢を孕んでいるのである。

初出:2010年3月梅家族(梅研究会)