第689週 写文俳句6月その5

散り惜しむ花一日の涙雨

高山も雨がつづいた。傘を持たずに旅に出た私は、高山以後の旅中、雨が降る都度、彼女の傘を無断借用した。まだ折り畳み傘のない時代で、たっぷりとスペースを取った薄いピンクの女性用の傘には、彼女の残り香が漂っているようであった。

どこのだれとも知らぬ女性の遺留傘を横領した私は、旅の想い出としてその傘を大切に保存していたが、いつの間にかどこかにしまいなくしてしまった。

若き日の旅の途上、ただそれだけの出会いであったが、その傘の主の少し寂しげな横顔が私の瞼裏に残っていた。それも、傘が失われると同時に忘れてしまった。

きっと彼女もその傘を大切にしていたにちがいない。せめて私が拾って大切に使っていることを知らせてやりたいとおもったが、そのときから数十年も経過してしまった。街で薄いピンクの傘をさしている女性を見かける都度、彼女のその後の人生を想像するのである。

初出:2010年6月梅家族(梅研究会)