第716週

初日の出待ちくたびれて吊り上げぬ

逃げても逃げても、人間は時間から逃げきれない。空間は自由に移動できても、時間を自分の意思のままに移動することは絶対に不可能である。

人間はすべて時間の囚人であり、時間というはるかな過去から限りもない未来へとつづく巨大な檻の中で、宇宙の年齢に比べれば、一瞬のまばたきのような人生を生きている。過去を振り返るときは、いまがいちばん老いており、未来を展望するときは、年齢差にかかわらず、いまがいちばん若い。

そんなおもいを新たにするのが、一年の区切りである年末・年始である。ことさら高い山や建物の頂上、あるいは海辺に立って、寒い風に吹かれながら初日の出を拝むのも、流れ行くのっぺらぼうな時間の流れに、人為的な区切りをつけたいからである。

初日の出の時間や年末・年始の習慣は、世界各国によって異なっても、日本の除夜の鐘や、各地における年末のカウントダウンには、行く年を送る感慨と、新しい年にかける希望や期待を織り込んでいる。人間が勝手につけた時間の刻み目にすぎないとわかっていても、初日の出は昨日や明日の日の出とは異なって見えるのも、時間の囚人である人間が、せめて牢獄の窓から望む錯覚である。

どんなに過酷な経験や、生涯忘れぬと心に刻み込んだ屈辱も、時間の風化によって過去へ押し流されて行く。二度とおもいだしたくない地獄の戦場も、かつての戦友が相集うと懐かしいものにおもえてくる。

一月という月は人生の刻み目であって、生まれたときあたえられた寿命の暦が薄くなると知りながらも、未来に希望を託する月である。

今年こそはなにかいいことがありそうな、いや、なければならない月として、初詣で覚悟を新たにすると同時に、自分にとって都合のよい願掛けばかりしている。一年刻みに、そんな夢と希望を新たにすることによって、人生という旅路を全うしたい人間が生んだ暮らしの知恵でもある。

中には正月が嫌いだという人も少なくない。いくら神様に願掛けしても、あるいは年が替わっても、なにも変わらないことを知っている人や、あきらめている人たちは、一月を特別な月とは考えない。それはそれで個人の自由であるが、係累も友もいない独り暮らしの人にとっては、家族や友人が相集う年末・年始は残酷な人生の刻み目といえるかもしれない。

「紅白歌合戦」や初詣を、独りで見たり、行ったりするのはかなり寂しい。その寂しさに耐えることも、新しい年を迎える覚悟の一つに数えられるであろう。

初出:富士通写真俳句歳時記2011年1月