第618週 写文俳句2月その3

学生時代、一人で群馬県の霧積温泉から県境の二千メートル級の山を越えて、浅間高原に抜けたことがあった。雪が積もっている頂上直下の日溜まりで、宿がつくってくれた弁当の包みを開くと、そこに「母さん、ぼくのあの帽子、どうしたでせうね」という書き出しで始まる西条八十の詩を発見した。

母と子が霧積温泉に旅をして、子が母に買ってもらった麦わら帽子を風に飛ばされてしまったという親子の情愛を詠った詩が、包み紙に刷られていた。その詩が後年、角川春樹氏から依頼されて書いた『人間の証明』のモチーフになった。

人はだれでも母から、あるいは父から『麦わら帽子』をもらっている。それは母の手編みのセーターや、人形や、父の背中の温もりや、さまざまな想い出であるかもしれない。幼少時に両親に死に別れた人でも、その幻影があるであろう。

帽子の詩に出会ったとき、私の母は健在であったが、そのとき私は幼少時、若かったころの母に無性に会いたくなった。おそらく母の想い出がなければ、霧積で出会った帽子の詩に、私はそれほど感動しなかったかもしれない。

当時二十二歳、将来進むべき道を模索して不安にさいなまれていた私は、よく一人旅に出た。地平線のかなたへ行けば、自分の将来が開けるような気がした。地平線や水平線のかなたに行っても、やはり同じような人生と格闘している人々が生きているとわかるまでには、まだかなりの時間が不足していた。

二月は他の月よりも日数が少ない。閏年に当たればさらに少なくなる。その不足日数を埋めるものが春の足音である。いずれの月にも足音はあるが、落花の舞い、梅雨の声、雷鳴、落ち葉のささやき、虫のすだき、虎落笛、雪折れなどの季節の足音に比べて、二月の末ほど柔らかな季節の到来を告げる予感に満ちた便りはない。

春を待つ想いとは言うが、夏や秋や冬を待つ想いとは言わない。私が二月という一年で最も短い月に郷愁をおぼえるのは、やはり春を待つ想いが重なっているからであろうか。

日不足を埋めるごとし閏(うるう)映え

初出:2008年2月梅家族(梅研究会)