第584週 写文俳句6月その3

五月雨や女の歴史潤(うる)みにけり

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こんな日、喫茶店(カフェ)に独り席を占め、ゆっくりとコーヒーを飲んでいる女性はミステリアスに見える。行きずりの喫茶店ですれちがっただけの縁とはいえないわずかな縁であるが、彼女の歴史の中に、ふと踏み込んでみたいような誘惑に駆られる。おそらく先方にはなんの記憶も印象も残さない路傍の者であるが、一会同席五百生、見知らぬ同士が席を隣り合うだけの縁でも、五百回生まれ変わる前からつながっていたと仏が説くように、おそらく二度と出会うことはないであろう人間砂漠の通りすがりの人の心をも、梅雨は潤す。

この季節、雨に濡れた紫陽花が幅をきかせている。大ぶりの花弁の移ろう色彩と共に、異界の光が射し洩れてくるように感じる。梅雨どきに聞く訃報がことに印象深いのは、雨の音と紫陽花の色彩が視線を内奥に向けさせるせいであろう。

梅雨の夜は雨に比例して長い。そんな夜は得たものよりも失ったものを数えるのである。

長き夜や失いしもの数えつつ

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だが、長雨も時折晴れて、すでに夏の色を帯びた太陽が顔を覗かせる。そんな日はなにかが変わりそうで、なにも変わらない。

梅雨明けの朝なにごとも始まらず

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初出:2010年6月梅家族代(梅研究会)