第631週 写文俳句5月その3

橋渡る人引きとめて花吹雪

当時はカードキイはなく、客は外出するときキイをフロントに預ける。客が帰館したときキイを差し出す。来る日も来る日も鍵の出し入れが主たる仕事であった。大学で学んだ高邁な理論や、学術的知識は一切求められない。フロントの先輩を見ると、けっこうな年配者がなんの疑いもなさそうにキイの出し入れをしている。こんなことを一生つづけるのかとおもうと、目の前が暗くなった。外はまぶしい五月の光が溢れている。

だが、単純繰り返し労働であるが、キイをまちがえて渡したりすると大事になる。また客の告げるナンバーのキイを自動的に渡していると、客がおもいちがいをしていたり、あるいは悪心を持った者をすんなりと部屋に通してしまうことになる。ホテルが保証すべきプライバシーや安全性を損なってしまう。責任の重い仕事であった。

しかも一夜単位で替わる客名とナンバーを記憶していなければならない難しい仕事である。一日中立ちずくめで、一日の勤務が終わると、足が腫れた。五月病患者にとっては、五月は残酷な季節でもある。世間が明るければ明るいほど、五月病患者の意識は暗くなる。

それにつけてもおもいだされるのは、自由気儘な学生時代であった。学生時代にはそれなりの不安や問題があったが、社会の門を潜り、いかに学生時代が過保護で自由奔放な時代であったかおもい知らされた。

学生時代、私はややスペースのあった自宅を英語塾にして、けっこうな収入があった。就職して初めてもらった初任給に愕然とした。学生時代のほうがその二倍も稼いでいた。初めての土地で知人もなく、キイの出し入れをしながら現実と夢の距離がますます開いていくことに、私は入社二ヵ月にも満たぬ間に帰京して、学生時代の自由気儘な生活に戻りたいとおもった。

振り返る回数増して思い知る不安と期待の不等式 森村冬子

初出:2008年5月梅家族(梅研究会)